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合気観照塾東雲道場

位を覚えないということ。

世話役です。

 いつも気をつけていることを書いてみました。


1 位は覚える必要は無い。
  位は身勢が外に現れた状態です。
  身勢とは、平たく言うと、体内の懸(けん)と待(たい)が循環し、滞りなく動ける状況であり、その時々によって変化するものです。
  よって、位には形がなく、身勢によって定義づけられていますので、見た目に固執する必要はありません。 

2 忘れることを能動的に捉える。
  形を忘れるということは、身勢が馴染んでないということ。
  位をとった自分の姿を覚えるより、打ちかかる相手の姿に反応する。
  覚えられないということは、その形では相手に反応出来ないので、体が防衛本能で忘れさせようとしているかも知れないですね。
  そんな形を覚えるのは体に良くないです。
  でも宗匠が動けているのは何故か?
  それは、位をとる以前の身体操作なのです。
  ですから私は、『覚えられないこと』を大切にして、何故出来ないのかを考えて、呼吸一つ、指の曲げ方一つから細やかに修得したいと思います。

3 何を修得するのか。
  身勢が出来ていなければ、上手く構えてもゼロ点です。
  身勢が出来ていれば、剣がなくても位なのです。
  私は自分も含めて会員の方々には、上手く剣が使えるようになって欲しいとは思っておらず、上手く剣が使える体になって欲しいと願っています。

  何故なら世の中に数多ある身体技術の中で剣や剣から生まれた合気が一番普遍性を有していると考えるからです。
  囲碁、バスケ、オートバイ、登山等にも当然に哲学があり、普遍性があると思いますが剣、合気を含む武術(殊に生死を賭けた時代から派生する流儀)は生を勝ち得るために、死と向かい合うしかなかったのだと思います。
  もちろん、封建的な世の中で、自分の意思によらず、刃物で人と切り合わなければならなかった時代の話です。
  そんな世の中で誰もが否応なしに死と向き合い、そこから生を勝ち得る方法に普遍性を見出だそうとしたのだと思います。
  
  私は念仏宗教にも同じことを思います。
  念仏を唱えれば救われる。
  誰もが苦しみから救われたい、その『誰もが』が普遍性ではないでしょうか。
  誰もが『生きたい』と願う。
  その『誰もが』のために、奇跡的な資質と才能を持って生まれた達人たちが、星の光のように現れては消えながら、少しずつ体系化し普遍性を帯びた技術こそが修得すべきものだと考えています。

  ですから私は、そのようにして出来た動きの技術、ものの考え方が他の動きや動作、思考活動に使えないわけがないと考えています。

 くれぐれも、覚える起点を間違えないように気を付けていきたいと思います。



by shinonomeaiki | 2016-04-13 08:31 | 意義 | Comments(0)

東雲道場は、合気修得を志す人の稽古場であり、このブログは、その人達のために稽古内容を記録化する目的で開設しました。
by 世話役
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