合気観照塾東雲道場

YS さんからの第二十九回研究会メモ

SYさんからの研究会メモです。
いつもありがとうございます。
第二十九回研究会の冒頭に宗匠より
剣の法 前田英樹著
の紹介がありました。
書籍からの抜粋なのをここでお断りします。
73P 「陰」と「影」
76P 「随敵」の教え 読み等




合気観照塾東雲道場 
世話役 様
 内容:K先生から「新陰流杖術」の指導を受けた。
    (第二十九回研究会)
     期日:2016年4月10日(日)13時~

@今日は、杖の、柳生杖というか、十兵衛杖と言われているのですけれど、
 柳生十兵衛が1年間、10くらいの杖を持ってやっていたというのをやる。

<1.基本的な考え方>
@猿廻には、45度の角度で切下げられる二種類の太刀筋があります。
 第一の太刀筋は、柄を持つ両腕は平行になっている。
 第二の太刀筋は、両腕が前腕部で交叉することができる。

@新陰流では、両腕が平行する場合、それを「順勢の切り」という。
 交叉する場合、それを「逆勢の切り」という。
@順勢から逆勢へ この移行転回の中にこそ 猿廻があれば、これが
 カゲ流の最後の教えです。

@カゲ流のカゲというのは、陰と影の両方が書いてある。
@両方、自分と相手との原理ですね。それを書いている。
@初めに動くのは相手です。所謂、「後出しジャンケン」です。
@しかし、相手の動きを待っているのではない。相手を「陽」として
 動かし、動く相手のなかに「陰」として 入り込む形です。
@入り込めば、打太刀の「陽」は 自ずから 使太刀の「陰」を 
 自分の「カゲ」として その「カゲ」に載って
@その原理の型が、猿廻の一切に示されている。
@これを繰り返していけば、いつか 我知らず そうした原理の中
 に入っていける。

<2.随敵の後ろについて>
@上泉伊勢の守が、自分の流儀を「新陰流」と書くとき、「表に現れた天気の
 外観」を言っている。
@これを教えることは、わけも無い。下手は下手なりに 誰でも行なうこと
 ができる。しかし、カゲの流儀は「新陰流」である。これを教えることは 
 実は誰にもできず、習う者は、只、流儀の型に従った 一途な際限のない
 稽古から、一種の跳躍が起こるのを待つしかない。

@もちろん、動きとしても 形の細部は 次第に現実に解明されていき、
 それに従って 自分の動きを 刻みに修正していくことができる。
@稽古とは そういうものだが、そうした動きが現れる元のところ、潜在的な
 カゲの領域、言わば 跳躍によって一気の瞬間がなければ 入り込めない。
@この跳躍は 一回きりのものではなく、新たに何回も起こるのを待つもので
 ある。
@この跳躍の仕方は、教えることはできない。そういう経験は 各自で皆 
 異なっている。だから、各自は 自分で行なうしか 他はない。
@そのようなわけで、上泉伊勢の守が 柳生宗徳に現実に教えることができた
 のは、新影流だけ ということになる。
@その元にある「新陰流」は 今後も引き続いて 己で会得せよ、というわけ。
@目録書にあるゲンキュウの訂正は、   に向って"お前などは まだまだ、、"
 と偉そうに語っているのではない。
@斜線で消された「イン」の字は、正に消された その形で はっきりと
 記されています。
 
<3.猿廻について>
@第一の切り合いで崩された打太刀は、その体勢を立て直して、使太刀の肩に
 切り付ける。右足前で、右一重に 前腕が交叉する「逆勢の切り」です。
@このとき、打太刀は 使太刀の右側を回り込む動き。使太刀は その動きに
 従って 使太刀と同じ「逆勢の切り」で 相手の側の動きを   します。
 敵の右剣を 自分の肩の高さで見て、その右剣に動き、切るということ。
 自分の肩に切り掛る相手の剣を 相手と同じ切り方で捉えることが大事である。
 右剣を捉えて 同時に 切った刀を 中段の高さに納める。これで猿廻は終る。
 これまでに 練習をしてきた通りである。

<4.本当の上達とは>
@型としては、打太刀が負けて 使太刀が勝つ形にはなるが、型などは幾らでも
 ある。
@只、敵に従って 己を現わして、敵が正に切ろうとするところを 切り崩す
 勝ち方には、変ずるものによって、高さの具合が 限りなくある。
@これは、初心者には分からない。只、型を真似て、真似ることに達者になろう
 とするだけである。本当の上達は、その先にある一種の跳躍としてしか 
 やってこない。
@「敵に従う」ということは、ここでは一番肝心なことで、新陰流では 古来
 「随敵の教え」と言っている。 
@だから、自分から 切りにいくとか、叩き落としにいく、そういうわけでは
 ない。
@「随う」というのは、相手の動きに応じることではない。「陽」となって敵が
 動けば、自分は その「陰」となって 敵に乗り移る。それを 言わば、
 内側から崩すことをいう。
@自分を、相手の内側から あたかも瞬間に生まれ出たような感じでフワリと
 立つことになる。
@敵と自分とが、反発の原理から導かれて一つになると、この    を 
 確実に  ため この猿廻の一手の中に はっきりと見て取れる。
@勝つ側と、負ける側とが、双子のような相似形を描いて、円転するところの
 猿廻にこそが、上泉伊勢の守が 理想として求め続けてきた刀法の原理である。
@カゲ流が生み出す勝敗は、いつでも このような相似形を描くわけではない。
 相手の動きも、力量も、心立ちも、現実には様々で、それらは無数の形をとる。
@そういうものに いちいち付き合っていることが「隋敵」ではない。
 只、「円転して敵に随う型」というものを 形に現わす大事の一つとして 
 相似形を現わすことになる。猿廻は その極限を現わしている。

<5.猿の動きのどこが手本か>
@猿の歩き方は、4足で移動する動物と、直立歩行で動く人間との中間にある。
@猿は 直立歩行をする直前の人間の様子を示している。つまり、その直立
 歩行は 未だ不安定で、直ぐに4足歩行に引き戻されてしまう。この不安定から
 「カゲ流」の元祖は 一種の霊感を得たのかも知れない。

@立ち上った猿の不安定はどこからくるのか。それは、よく見れば明らかである。
@直立のままでは 地面を蹴って前に進むという歩き方ができない。立つことが
 できても 長く歩くことは難しい。
@従って、人間が直立歩行を完成させたのは、2本の足で地面を蹴って歩くことに 
 遂に習熟したからです。この習熟には 内容的による「鈍感さ」が伴う。
@ケンコウを移したままで、平気で前後左右に揺れながら 歩くのが人間です。
 猿には こういう歩法は耐えられない。
@しかし、猿の二本足歩行には 又 別の習熟の仕方が可能としてある。それは、
 地面を蹴ることを止めること。
@猿が 身を起こして立ち上るとき、腰の部分を、少し尻を後出しにして 尾底骨
 の上 仙骨の辺りが空に向けて 垂直に吊り上がったようになる。
 これを「吊り腰」と言う。両足の膝が 少し曲って 膝から下だけが 真っ直ぐ
 地面に立っている。両手は 前に垂れ下がって 左右に軽く揺れている。

<6.人間の歩き方はどうか>
@大抵の場合、立っているときは 膝関節が伸び切って、上体はすっかり上に
 なっている。
@歩くとき、前足を爪先から持ち上げて、出してから 踵から着地し、後ろ足は踵を
 上げて爪先で地面を蹴っている。つまり、地面に反発して身体を押し出している。
@4足歩行のやり方が、そのまま2足歩行に適用され、それが甚だしい変形を帯びて
 いる。

<7.西洋人と東洋人>
@反発の原理を使った この直立歩法には 様々な程度の差がある。
@狩猟と牧畜に主な生活基盤をもっていた西洋人は、反発の原理による歩行をよく
 行う。
@ところが、農耕、特に水田耕作に主な生活基盤を持っていた東洋人の歩法は、
 反発の原理に訴える度合いが低い。

<8.反発の原理に訴えずに歩くとき 人はどうするか>
@猿と同様、膝を少し曲げて、膝から下の両足を真っ直ぐ地面に降ろして、足の裏
 全体で歩く。
@腰は 仙骨の辺りから吊上げられたような状態になる。
@上体だけは、猿と違って、真っ直ぐ立てられます。
@この姿勢では、両手は だらりと両腿の付け根辺りに置かれたままで、前後に
 いきおいよく振られることはない。
@八朔を生活基盤とした東洋人は、そうした歩き方の傾向がみられるが、完成しているわけではない。(滋賀より参加の初心者)


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by shinonomeaiki | 2016-04-21 08:50 | 研究会 | Comments(0)

東雲道場は、合気修得を志す人の稽古場であり、このブログは、その人達のために稽古内容を記録化する目的で開設しました。
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