合気 手の内 一刀流
9/2定例稽古
手の内
1 棒回し
手の内の四点を意識して転がす。
棒を握らない。
2 二刀剣の要領で棒の上げ下ろし
手の内の四点を意識する。
どの時がどうなのか。
どの呼吸でどうなのか。
3 木刀を片手で上げ下ろし
前同
4 木刀を諸手で持って歩法
片手から両手になった時の変化を分析し、何処をどう使うかを自得する。
5 なぜ雷刀になるのか、なぜ各流派で手の内の口伝が異なるのか。
右手で打つや、左手で打つ等を検証する。
見落としている点に気付く。
6 撥草の検証。
首の使い方。
「~の吊り下げ。」
二星の張力
螺旋の分け目
7 二星を掴んで貰い、柔術で検証
押そうとしない。
二星が落ちることを意識する。
落ちる位置。
どの部位をリードにするか。
世話役です。
宗匠の過去の掲載から
心の切先・心の綱・心の糊・心術
2008-05-31 00:03
「一刀流極意」笹森順造著からご紹介します。
第六節 一刀流を創建
前原弥五郎は伊藤弥五郎景久と改め、諸国を週歴し幾度か強敵に会い、戦つては悉く勝ち、他流を検討し己れの技前を磨き、次第に自信を得るようになつたものの、未だ自分の心の内に真の安定を得ていないので、魂をもつと深く養わなければならないと志し、或る年の寒中に伽藍に入り独り端座し鉄如意を手に握つて心気を鎮め、瞑想をこらしたが、初めの程はどうしても雑念がむらがりきて、どんなにこれを追い払おうと努めても妄想が雲のように襲いきたり、精神を統一することが出来なかつた。それは自分の病気に負け、外物の支配に動かされていることに心付いて、更に工夫を重ね、食を断って想を錬り、胆を養い熱願すること数日の後に、いつとはなしに三昧の境に入つていたのに、不思儀や掌中の鉄如意が熱して火を掴むように覚えた。ハッと思つて気が動くと今度は冷たいこと氷を握るように感じた。
景久はこの奇怪な霊験に強く心を打たれ、その道理を探つて苦心惨澹した未に鉄如意冷熱の変化は自分の気血の盈虧(えいき)が手から鉄如意に流往透徹し、また翻つて冷熱を己れに伝え、これを感じさせるということを悟ることが出来た。それから尚お錬磨を重ねること数年の後に彼は自ら意識して掌中の鉄如意に命じて思いのままに気血を流通移行させることが出来るようになつた。彼はこの霊妙な体験を基として心が身に通じ身が刀に通じ心身刀が一如となることを悟り、剣心一如の妙理を一心刀と称し、外物一切を一心の味方となし、応敵必勝の秘法を覚え彼成一体万物一如の玄理を得、己が流名をたてて一刀流と称し、自ら一刀齋と号するに至つたのである。
#楽隠居です
この本を初めて読んだ頃には、すでに少林寺拳法・合気道・大東流・新陰流・太極拳・気功などを囓っていたのですが、これが剣術の本なの?と驚くと同時に、全て同じなんだと感じたのです。この本を読んだことが、自己流合気探究の道に踏み込んだ切っ掛けになったんだと考えています。
▼大太刀技詳解の中の意解からも、抜粋してご紹介します。
・わが心の鋭い切先が太刀の鋭い切先となって働いて相手の太刀を切落して無効となし、わが切先が生きて働きわが勝となるものである。
・心眼を明らかにして相手の作為と挙動を察知し、相手の意欲とその打おろす太刀先とに己が心の綱を引つかけて点前に手繰りこむので、相手の切先はわが鍔をかすめる程合まで深く入ってはずれ空を打って下段となる。
・相手の心の幕をわが心の切先で右に押し開き、ついで左に切り開き、隙間の真中を突き破り勝って正体を見届け、ただちに踏込んで大胆に打取り制するのである。
・打太刀に仕太刀の心の糊をぴったりと続飯をもってつけたようにつける。
・陰刀の尊さは刀と足つかいに心術を蔵し相手に知らさずに勝ところにある。
抜粋その2
合気とは何か
2005-01-30 11:32
フルコンタクト・カラテの1996年1月号に、特集「秘技・合気の秘密」が掲載されました。その中で、様々な団体が持っている、「合気」に対する見解を紹介しています。そして、最後は次のような言葉で締めくくられていました。
『いかがだろうか?それぞれの団体が「合気」に対して、独自の見解と解釈を持っていることが分かる。「合気」という一つのものに対して、「合気は合理的に説明が可能である」とする団体がある一方で「定義・説明することは難しい」とする団体も存在する。この多種多様さこそが、「合気」の奥の深さであるとも言えるだろうが、同時に曖昧な感じを受けることも否めない。最後に、突然の電話による取材にも関わらず快く答えてくださった各団体の先生方に感謝いたします。』(引用終了)
武田惣角先生は、小野派一刀流を身に付けていた事だけは確かなはずですから、一刀流の事を調べてみましたら、次のような記述が見つかりましたので、抜粋します。
笹森 順造著「一刀流極意」より
合 気
一、合打 敵と打ち合ってどうしても合打となって中々勝負がつきにくいことがある。いつまでたっても合気となって勝負がつかない。遂には無勝負か共倒れになることがある。これは曲合が五分と五分だからである。こんな時は合気をはずさなければならない。合気をはずすのには先ず攻防の調子を変えなければならない。
二、留 敵の太刀に逆らい出合に合気となるようなことがない留めの法がある。敵の打込む太刀の心を知って、これに反揆せず快よく引受け、敵の力を誘いながら受留めると自然に敵の働らきの尽きる所がある。ここは合気をはずす塩合の所である。この塩合を味わうのには留を小さく留るのである。留を大きく留めると、合気をはずしてから次の転化に出るのに暇がかかって役に立たなくなり、そこにわが隙を生じ不利になる。
三、交わす 留めが利かない場合もあるから、その時には交わすことを法とする。かわりぎわに敵の力を利用し、その行く方向にむけて敵の首にわが心の綱をかけて引摺り出し、その後ろから押しやると、なお更烈しくそれてゆくものである。流れてくる丸太を上流から斜に突いてなお早く下流に流す所である。敵の気剣体を一緒に引摺り出し、行く所まで喰違いにゆかせ徒労に力を尽ききせ、まだ立直らない前の所でいと易く勝つ。
四、和而不同 敵の強い刀に逆らってわれからも強く出で、敵の打を中途で強く受止めると兎角合気となって味がない。逆らい争って勝つのは上乗の勝ではない。敵が望んで打って来たらそれに和し育て敵の刀の行く方向にわれからも助勢し、その心意と太刀技とを力いっぱいに尽させて流してやると、われは聊(いささ)かの働らきにて大きく勝ち得るものである。これもまた敵の曲合の利をやわらかにわが懐にとりこむ所であり和して同ぜず平らかに勝つ所である。平らかに和して自ら勝つから兵法を平法といい、剣術を和術という。和する所が勝つ所であり、勝ってまた後によく和するのである。
更に、木村達雄著「透明な力」には、『合気といわれる敵の力を抜いてしまう体の内部技術によって可能になります。』と書かれています。
以上のようなことを元にして、合気とは、五分五分の膠着状態を、こちらの有利な状況に変えてしまうための、身体の内部技術であり、「入れる」「付ける」「抜く」の三種類に分けることができるのではないかとの仮説を立ててみました。
以上抜粋終わり。
この中の
1 己が心の綱を引つかけて点前に手
繰りこむ
2 かわりぎわに敵の力を利用し、そ
の行く方向にむけて敵の首にわが
心の綱をかけて引摺り出し、その
後ろから押しやると、なお更烈し
くそれてゆくものである。
が合気の重要な要素ではないかと思っています。
その中でも、膠着の状態の中では相手の狙うところがあると言っています。
これまでは、狙うことばかりに気をとられていましたが、
「合気は直流ではなく交流である。」
という宗匠の教えで
あっ、もしかしたら
と思って定例稽古で説明させて頂きました。
あまり文章で書くと、意味がズレる虞れがあるので、遊びを持たせてこの程度にしておきます。
宗匠の
ほら、教えているでしょ
書いているでしょ
と言われる声が聞こえて来そうですね、すいません。
手の内
1 棒回し
手の内の四点を意識して転がす。
棒を握らない。
2 二刀剣の要領で棒の上げ下ろし
手の内の四点を意識する。
どの時がどうなのか。
どの呼吸でどうなのか。
3 木刀を片手で上げ下ろし
前同
4 木刀を諸手で持って歩法
片手から両手になった時の変化を分析し、何処をどう使うかを自得する。
5 なぜ雷刀になるのか、なぜ各流派で手の内の口伝が異なるのか。
右手で打つや、左手で打つ等を検証する。
見落としている点に気付く。
6 撥草の検証。
首の使い方。
「~の吊り下げ。」
二星の張力
螺旋の分け目
7 二星を掴んで貰い、柔術で検証
押そうとしない。
二星が落ちることを意識する。
落ちる位置。
どの部位をリードにするか。
世話役です。
宗匠の過去の掲載から
心の切先・心の綱・心の糊・心術
2008-05-31 00:03
「一刀流極意」笹森順造著からご紹介します。
第六節 一刀流を創建
前原弥五郎は伊藤弥五郎景久と改め、諸国を週歴し幾度か強敵に会い、戦つては悉く勝ち、他流を検討し己れの技前を磨き、次第に自信を得るようになつたものの、未だ自分の心の内に真の安定を得ていないので、魂をもつと深く養わなければならないと志し、或る年の寒中に伽藍に入り独り端座し鉄如意を手に握つて心気を鎮め、瞑想をこらしたが、初めの程はどうしても雑念がむらがりきて、どんなにこれを追い払おうと努めても妄想が雲のように襲いきたり、精神を統一することが出来なかつた。それは自分の病気に負け、外物の支配に動かされていることに心付いて、更に工夫を重ね、食を断って想を錬り、胆を養い熱願すること数日の後に、いつとはなしに三昧の境に入つていたのに、不思儀や掌中の鉄如意が熱して火を掴むように覚えた。ハッと思つて気が動くと今度は冷たいこと氷を握るように感じた。
景久はこの奇怪な霊験に強く心を打たれ、その道理を探つて苦心惨澹した未に鉄如意冷熱の変化は自分の気血の盈虧(えいき)が手から鉄如意に流往透徹し、また翻つて冷熱を己れに伝え、これを感じさせるということを悟ることが出来た。それから尚お錬磨を重ねること数年の後に彼は自ら意識して掌中の鉄如意に命じて思いのままに気血を流通移行させることが出来るようになつた。彼はこの霊妙な体験を基として心が身に通じ身が刀に通じ心身刀が一如となることを悟り、剣心一如の妙理を一心刀と称し、外物一切を一心の味方となし、応敵必勝の秘法を覚え彼成一体万物一如の玄理を得、己が流名をたてて一刀流と称し、自ら一刀齋と号するに至つたのである。
#楽隠居です
この本を初めて読んだ頃には、すでに少林寺拳法・合気道・大東流・新陰流・太極拳・気功などを囓っていたのですが、これが剣術の本なの?と驚くと同時に、全て同じなんだと感じたのです。この本を読んだことが、自己流合気探究の道に踏み込んだ切っ掛けになったんだと考えています。
▼大太刀技詳解の中の意解からも、抜粋してご紹介します。
・わが心の鋭い切先が太刀の鋭い切先となって働いて相手の太刀を切落して無効となし、わが切先が生きて働きわが勝となるものである。
・心眼を明らかにして相手の作為と挙動を察知し、相手の意欲とその打おろす太刀先とに己が心の綱を引つかけて点前に手繰りこむので、相手の切先はわが鍔をかすめる程合まで深く入ってはずれ空を打って下段となる。
・相手の心の幕をわが心の切先で右に押し開き、ついで左に切り開き、隙間の真中を突き破り勝って正体を見届け、ただちに踏込んで大胆に打取り制するのである。
・打太刀に仕太刀の心の糊をぴったりと続飯をもってつけたようにつける。
・陰刀の尊さは刀と足つかいに心術を蔵し相手に知らさずに勝ところにある。
抜粋その2
合気とは何か
2005-01-30 11:32
フルコンタクト・カラテの1996年1月号に、特集「秘技・合気の秘密」が掲載されました。その中で、様々な団体が持っている、「合気」に対する見解を紹介しています。そして、最後は次のような言葉で締めくくられていました。
『いかがだろうか?それぞれの団体が「合気」に対して、独自の見解と解釈を持っていることが分かる。「合気」という一つのものに対して、「合気は合理的に説明が可能である」とする団体がある一方で「定義・説明することは難しい」とする団体も存在する。この多種多様さこそが、「合気」の奥の深さであるとも言えるだろうが、同時に曖昧な感じを受けることも否めない。最後に、突然の電話による取材にも関わらず快く答えてくださった各団体の先生方に感謝いたします。』(引用終了)
武田惣角先生は、小野派一刀流を身に付けていた事だけは確かなはずですから、一刀流の事を調べてみましたら、次のような記述が見つかりましたので、抜粋します。
笹森 順造著「一刀流極意」より
合 気
一、合打 敵と打ち合ってどうしても合打となって中々勝負がつきにくいことがある。いつまでたっても合気となって勝負がつかない。遂には無勝負か共倒れになることがある。これは曲合が五分と五分だからである。こんな時は合気をはずさなければならない。合気をはずすのには先ず攻防の調子を変えなければならない。
二、留 敵の太刀に逆らい出合に合気となるようなことがない留めの法がある。敵の打込む太刀の心を知って、これに反揆せず快よく引受け、敵の力を誘いながら受留めると自然に敵の働らきの尽きる所がある。ここは合気をはずす塩合の所である。この塩合を味わうのには留を小さく留るのである。留を大きく留めると、合気をはずしてから次の転化に出るのに暇がかかって役に立たなくなり、そこにわが隙を生じ不利になる。
三、交わす 留めが利かない場合もあるから、その時には交わすことを法とする。かわりぎわに敵の力を利用し、その行く方向にむけて敵の首にわが心の綱をかけて引摺り出し、その後ろから押しやると、なお更烈しくそれてゆくものである。流れてくる丸太を上流から斜に突いてなお早く下流に流す所である。敵の気剣体を一緒に引摺り出し、行く所まで喰違いにゆかせ徒労に力を尽ききせ、まだ立直らない前の所でいと易く勝つ。
四、和而不同 敵の強い刀に逆らってわれからも強く出で、敵の打を中途で強く受止めると兎角合気となって味がない。逆らい争って勝つのは上乗の勝ではない。敵が望んで打って来たらそれに和し育て敵の刀の行く方向にわれからも助勢し、その心意と太刀技とを力いっぱいに尽させて流してやると、われは聊(いささ)かの働らきにて大きく勝ち得るものである。これもまた敵の曲合の利をやわらかにわが懐にとりこむ所であり和して同ぜず平らかに勝つ所である。平らかに和して自ら勝つから兵法を平法といい、剣術を和術という。和する所が勝つ所であり、勝ってまた後によく和するのである。
更に、木村達雄著「透明な力」には、『合気といわれる敵の力を抜いてしまう体の内部技術によって可能になります。』と書かれています。
以上のようなことを元にして、合気とは、五分五分の膠着状態を、こちらの有利な状況に変えてしまうための、身体の内部技術であり、「入れる」「付ける」「抜く」の三種類に分けることができるのではないかとの仮説を立ててみました。
以上抜粋終わり。
この中の
1 己が心の綱を引つかけて点前に手
繰りこむ
2 かわりぎわに敵の力を利用し、そ
の行く方向にむけて敵の首にわが
心の綱をかけて引摺り出し、その
後ろから押しやると、なお更烈し
くそれてゆくものである。
が合気の重要な要素ではないかと思っています。
その中でも、膠着の状態の中では相手の狙うところがあると言っています。
これまでは、狙うことばかりに気をとられていましたが、
「合気は直流ではなく交流である。」
という宗匠の教えで
あっ、もしかしたら
と思って定例稽古で説明させて頂きました。
あまり文章で書くと、意味がズレる虞れがあるので、遊びを持たせてこの程度にしておきます。
宗匠の
ほら、教えているでしょ
書いているでしょ
と言われる声が聞こえて来そうですね、すいません。
by shinonomeaiki
| 2017-09-04 21:48
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