合気観照塾東雲道場

カテゴリ:抜刀稽古( 3 )




JIさんからの抜刀稽古メモ

JIさんからの抜刀稽古メモです。

試斬

数日前、東雲道場連絡掲示板に試斬を実施すると言う連絡。

その時の私の「思い」はこうだった。

左の袈裟は斬れる!

右袈裟は...?
前回の試斬で散々な結果であったので自信がない。

車(しゃ)の構えから逆袈裟?
どうやって斬るんだ?
刃筋は?

こんな疑問が出るのは、普段の稽古でただ振り回しているからですね。反省...

と言う様なところでした。

なので木刀を持って庭に出て刃筋の確認。

右袈裟を2、3回振ってみる
前回の時よりちょっとは
マシか!
車から逆袈裟も2、3回
最後の方で刃筋をくねっている気がする。
まっいっか!
やり過ぎると癖になるので終了。

と振り返ると飛行するカメムシがこちらに接近中。

『斬る!』と思い、袈裟斬りでスパッ!プチ 当たった
、いや斬った。
見事に物打ち当たり、カメムシは無残な姿で足下に転がっていた。

その後、刃筋の何の探究も無く、いざ試斬本番当日

左袈裟
難無くスパッと斬れた。
角度、切口ともに納得できるものであった。

右袈裟
ドスッと言う鈍い手ごたえ
斬れたのか斬れなかったのか記憶は定かでは無い、都合の悪い事は記憶しないのが私の主義だ。
角度は甘く、切口不良

逆袈裟
3回実施
1、2回は、巻藁の半分くらいで刀が止まり巻藁を刀で持ち上げる様な状態が続いた。

3回目の前に世話役さんからの指導で
  身体が伸びている
と言う事と
  斬ろうと思わないと斬れないですよ
との事。
私は、その言葉で ハッと気づく事があり次の行動をとった。

巻藁に向かって、右人差し指で右下から左上へ斬り上げながら、こう唱えました。 「斬る!」と。

3回目の逆袈裟
何も考えず斬りに行く。
考えないと言う事も考えない。
ビリリリッ?スパッ!
ホームラン
斬った巻藁が遠くに飛んで行った様な気がした。
巻藁を見ると
角度 良し、切口 良好であった。

なぜ斬れたのか?
考察してみました。
勿論、世話役さんのアドバイスがあったからに違いない。
中でも
  「斬ろうと思わなと斬れないですよ。」
が私の心に引っかかった。
半ば「ちゃんと斬ってくださいよ」的にも聞こえた様な気もしましたが(違っていたら、すいません)

そうなのです。
斬ろうとしていなかったのです。
ただ、斬るまね、斬る動作をしていただけなのです。
なので斬れなかった。
本来目的の「斬る」事を忘れてしまっていたのだ。


だから私は、「斬る!」と言う事をはっきりと確実にする為に、おまじないの様な事をして命令を強調したのです。

誰に命令したのか?
人の動作の順序はこうだ。

1 巻藁の前に刀を持った私がいる
2 私(脳)が巻藁を斬ろうと思う
3 その命令で身体が巻藁を斬る

身体に命令したのです。
命令した後は、余計事は考えない。

余計な事とは、何か?
行動開始後の命令です。

斬ると言うほんの数秒の間に、握りはこうで刀の角度が何度でこの間合いに入ったら斬り出す等、斬る事に対しての正しい情報なんでしょうが、そんな命令をするとスムーズな身体の動作の妨げになり、本来目的の斬る事を忘れてしまうので余計なのです。

だから、命令(思い)は、簡単でシンプルでいいんです。

それと、結果に囚われない事。
斬るまえから、
斬れるかなぁ?
斬れなかったらどうしよう。
なんて思っていると斬れるはずがなく、逆に
斬る
斬れる
斬れて当然
斬れるに決まっている
と思う方が斬れるのだ。

ファイルアンサー
斬る事を忘れず、色々と考えず、ポジティブに斬ると
斬れるのだ。
その大部分が脳(思い)の使い方次第なのです。

長々と記してきましたが、
簡単に言うと世話役さんのアドバイスを素直に聞いたら斬れちゃったと言うだけの話ですが、私が感じ思ったのだから仕方ない。

思考する生き物の「思い」は無限に自由なのだから

東雲道場 JI


世話役です。

記事の提供ありがとうございます。
私の声かけはきっかけにしか過ぎません。
JIさんの日々の鍛錬が体に染みついているからこそ、斬れただけのことです。
この抜刀稽古に参加して頂いた方にはそれぞれ抜刀の技の課題を用意していました。
私がみるに皆さんそれぞれは、充分にその課題を確実に果たせる能力を備えられています。

私はこの抜刀稽古では、
   障害を乗り越える楽しみ
にはして頂きたくないと考えております。

それを楽しみにすれば、ただの曲芸になります。

私が抜刀稽古の目的のひとつにしているのは、
   発揮する
ということです。

例えば、JIさんで言えば、巻藁を斬ったのはJIさん自身ですので、私ではありません。

では斬れなかったJIさんは?

これもJIさんです。

私はJIさんには、
   体が伸びている
と言いましたが、伸びている原因については言いませんでした。

伸びている原因は
   お留守になっていた
からです。

それは、
   斬ろうと努力する
ことに集中して、
   斬ること
に集中出来ていない。

 その結果、定例稽古で身につけた
   呼吸
   身体操法
等を具備した斬激が発揮できておらず、意識が刀に集中し過ぎて、体がお留守になっておられました。

 ですから
  斬ろうと思わなと斬れないですよ
とアドバイスしました。

 するとJIさんは直ぐに私の声の意味を理解されて直ぐに斬激を発揮されました。
 流石です。

 兵法に曰く、敵が自軍を上回る数でも戦場で兵を動かせなければ、いないのと同じである。

 日本刀は、
  ああだこうだと体の中でお喋りしながら
物体を切断出来るようには設計されていないのです。

 刹那に、斬るという目的意識と体内操作技量が合致した時に道具の能力を発揮するように設計されているのです。

 ですから、抜刀稽古では
  何々截りが出来たー
という達成を目的にするのではなく、
  意識することなく発揮すること
を目的にして頂きたく願います。 

 皆さんは既にもう斬れます。

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by shinonomeaiki | 2018-11-17 01:03 | 抜刀稽古 | Comments(0)

抜刀稽古

抜刀稽古

平成30年11月3日

本日は抜刀稽古を実施しました。

抜刀稽古は

   「使わずして使う」

をモットーにして実施しております。

喉が渇いた時に、水の入ったコップの横にあるテレビのリモコンを間違って手に取ることはありません。

御飯を箸でつかむ時に、緊張して御飯を鼻へ運ば無いですよね。

一刀斉曰く、暗い場所でも痒い場所を間違ってかく人間はいません。

そういう自分を認識する一瞬が抜刀稽古です。

以下S代表からのコメントです。


〈稽古メモ〉
 本日の定例稽古は抜刀稽古を行いました。
 私も勿論のこと、ご参加頂いた皆様が各々何かを感じて頂けたと思います。
 それは試斬経験の有無、技の難易度、結果の成否という事とは全く関係なく、本物の剣、真剣で実際に物(巻藁)を斬る、という行為に向き合う事で己のみが感じる事のできる貴重な体験です。
 今後経験や回数を重ねていけば緊張や戸惑いや逡巡を感じる事も無くなってくるかもしれません、斬り慣れしてくるかもしれません。
 が、そこには全く何の意味も価値もありません。

   己の全てがはっきりと現れる
   待ったなし、やり直しなしの
   一期一会の世界との遭遇を只々   
   全身全霊をもって感じていく

ことがあるのみです。

今後とも宜しくお願い致します。

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by shinonomeaiki | 2018-11-12 07:55 | 抜刀稽古 | Comments(0)

抜刀稽古2017.5.21

N市にて抜刀稽古

5/21日曜日、N市にて抜刀稽古をしました。
参加者は東雲道場の世話役の私の他、東雲道場の
指導担当のFさん
男性会員Iさん
女性会員Mさん
の計4人でした。

4人の中では、私が一番稽古年数が多かったので引率役をさせて頂き、抜刀先生の指導を受けました。

4人の中で、Iさん、Mさんは初めての抜刀稽古でした。

抜刀稽古とは、いわゆる
   試斬り
   据え物斬り
等と呼ばれている稽古で、竹や巻藁を剣で截り離す稽古です。

僭越ながらも、今回の抜刀稽古について私の総評は以下の通りです。

Fさん
・前回の稽古より、力んでおらず、呼吸で截っていることが分かる。
・刃筋も横に浅くはなく、直径10センチ程の竹を容易く切断出来た。
・以前は抜刀後に撥草等に構え直してからの斬撃であったが、今回は抜刀して斬撃出来るようになった。

Iさん
・普段の稽古通り、撥草からの袈裟截りで力まずに斬撃出来ていた。
・普段の稽古に忠実な動きであった。
・抜刀の際、落ち着いて抜刀し平常心を保っていた。

Mさん
・生まれて初めて抜刀稽古をして、直径10センチ程の竹の半ばまで切り込めたほど、体が繋がって来ている。
・かなり遅い刃速で、巻藁が分断出来るほど袈裟截りの精度が高かった。

抜刀先生の総評

Fさん
・力まずに截れているし、刃の角度も及第点であるのが、斬撃という点で足らないものがある。
・力まないで斬撃するのと矛盾が生じるかも知れないが研鑚してほしい。

Iさん
・身勢に独特の癖が見受けられるが悪くは無く、力んでおらず良かった。
・落ち着いて剣を扱えていた。

Mさん
・緊張しただろうけど、よく截った。
・拍子を失い截れなくなったので、拍子の稽古をすると良い。

というものでした。

 抜刀稽古では嘘をつけないところに面白味があります。
 いざ馬(試斬台)の前に立つと、頭の中が真っ白になり、馬に向かって歩み初めた時には目の前が見えていません。
 
 截り離れた巻藁を見て、徐々に視覚と脳と五体の感覚が甦返って来て、残心し、安堵のうちに納刀する。

 自分が何をどうしたのか等覚えておらず、ただ自分の体が截った証しだけが自らの技量を教えてくれます。

抜刀先生曰く、
  綺麗に截ったかどうかでは無く、截った体で技量を観ないといけない
とのことです。
 
 新たな感覚を味わって頂けたなら、嬉しく思います。

 日帰りの強行軍でしたが、皆様お付き合い頂きありがとうございました。

以下荘子より引用

包丁が文恵君の前で牛を解体してみせた。
手で触れ、肩を寄せ、足で踏み付け、ひざを立て掛けて、包丁の動きに添って、さくさくざくざく音がする。
牛刀を進めるたびにさくさくと、古代の名曲に和するように音がする。
そして、たちまち見る見るのうちに牛は見事に解体された。
文恵君はあ~見事だな、技も極まるとここまでになるのかと喜んだ。
すると包丁、刀をおいて申し上げる。「わたしめは道を求めておりまして、単なる技より勝っています。わたしめも、はじめ見習いの時は、目の前が牛でいっぱいでした。しかし三年の後にはもはや、牛の全体は目に入りません。今に至りましては心の内なる像に対していて、目によって捉えません。外部の知覚器官は止まっているままで、心の欲するところが行なわれます。肢体の仕組みにしたがって、皮と肉、肉と骨の大きな隙間では刀は走り、筋が入り組み骨と肉が絡まったところでも一刀のもとに切り込んで、やり直しはありません。ところで腕のよい者でも年に一度は刀を取り換え、たいていの者は一月ごとに刃を折るものです。しかし、わたしめの牛刀は十九年、数千頭もの牛を解体してきましたが、ほんのいま研ぎあげた刃物のようであります。それと言いますのも、あの骨・節には隙間がありますが、刃先は厚みがないようなものです。厚みのないもので隙間に入っていくのですから広々としたものでいくらでもゆとりがあって、十九年も使っているのに刃先は研ぎ出したままのようです。そうは申しましても要所を前にしましてはわたしめもその難しさに心を引き締めます。目を凝らしてしっかりと対象を捉えます。牛刀の歩みもゆっくりと進み、刃先と対象のかすかな手ごたえを確かめています。そして、ドサッと土塊が地面に落ちたように肉のかたまりはすっかり切り離されてしまいます。しばし牛刀を手に立ち止まり、仕事の結果を確かめ、心に満足ゆくものであれば、はじめて牛刀をぬぐって鞘に収めるのです。」
文恵君が言う「すばらしい!わたしは包丁の話を聞いて処世の秘訣を得た。」

包丁の由来でした。



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by shinonomeaiki | 2017-05-27 20:29 | 抜刀稽古 | Comments(0)

東雲道場は、合気修得を志す人の稽古場であり、このブログは、その人達のために稽古内容を記録化する目的で開設しました。
by 世話役
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